山川 惣治(やまかわ そうじ〉WILD

あの一世を風靡した『少年ケニヤ』で有名な山川惣治氏が、絵物語の復興をかけ、全財産を投げ打って出版したと言われている雑誌『WILD』です。
残念ながら17号で廃刊となっています。

昭和42年に出版されたのですが、私はつい最近までこの雑誌の存在を知りませんでした。
昭和42年と言えば、少年誌から絵物語が殆ど姿を消した時代ですね。

古書には手を出さないとか言いながら、結構買ってます(笑)
やはり一世を風靡しただけあって、上手いですよね。これでも全盛期に比べるとだいぶ画力が落ちている様ですが・・・。絵物語をまともに読んだ事は一回も無いのですが、今読むと結構面白かったりします。

漫画と同じ土俵で勝負したのが衰退の原因でしょう。独自路線を見出す事が出来ればあるいは活路もあったのかもしれません。

全巻コンプリートセットも市場には出ているのですが、高すぎて手が出ないので、1冊ずつコツコツと買っています。
5・9・15・16号が欠番です。誰か見かけたら教えて下さい。

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以下Wikipedia
山川 惣治(やまかわ そうじ、1908年2月28日 - 1992年12月17日)は主に昭和20年代(1945年から1954年)から昭和30年代(1955年から1964年)に活躍した絵物語作家。

福島県郡山市生まれ。戦前より紙芝居作家として、戦後は絵物語作家として多くの作品を発表した。

戦前に紙芝居として描いていた『少年王者』を戦後の1947年に絵物語として単行本で描き下ろしたところ大ヒット。小学館の娯楽部門だった集英社は『少年王者』によって経営の礎を築き、集英社は『少年王者』を看板作品として『おもしろブック』を創刊した。山川惣治は小松崎茂や福島鉄次らと共に、戦後1950年代前半の月刊少年雑誌の絵物語ブームを牽引する絵物語作家の代表格として活躍した。

1949年から『漫画少年』で連載した『ノックアウトQ』は、少年時代に親友だったボクサー木村久をモデルにし、梶原一騎が少年時代に感化院でを読んで感動した体験が、ボクシング漫画『あしたのジョー』の原作を引き受けた背景になっている[1]。

特に1951年より産業経済新聞(産経新聞)にて連載された『少年ケニヤ』は大きなブームを呼び、後に漫画・ラジオ・テレビ・アニメ・映画化された。

1954年には長者番付で画家部門の1位になるが、絵物語は1950年代後半になると漫画の人気にとって代わられて人気が退潮。山川は絵物語の復権の夢をかけて、1967年にタイガー書房を設立して、8月から絵物語雑誌『ワイルド』を創刊するが、1968年に廃刊し、タイガー書房も倒産して、山川は財産を失う。、

この後、山川惣治は第一線を退いて、横浜市でドルフィンというレストランを経営して過ごすようになる。

1984年に角川書店が『少年ケニヤ』をアニメ映画化することになり、1983年から『少年ケニヤ』をはじめとする山川惣治作品が角川文庫化され、15年ぶりに新作『十三妹』も発表。これが最後の絵物語となった。

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